創設者の福原 毅は、その後都城の小学校の教諭から女子師範学校の教諭になり、終戦を迎えます。戦後は、県の職員を経て、大宮高校の地理の 教諭に赴任します。生徒を愛し、授業に全力を尽くす姿勢や、その語り口や表情・地図を片手に持ち教室へ向かう姿等々、生徒からも大変慕われたようです。被写体としても魅力的で、写真部の面々が文化祭に出展したと思はれる大判の写真が数枚残されています。また、女子師範時代から生徒や同僚の方々が、よく自宅へ来られておられました。頼まれごとも多く、いったん頼まれると、その方のために全力を尽くし、昼夜を問わず出かけていく姿がありました。そんな父の健康を案ずる母は、たまりかねて意見をすると、よく口にしていた言葉が、標題の「情けは人の為ならず」の言葉です。
寒い夜、自転車を引きつつ、自宅を後にしていく父の後姿を思い出しています。
2020年11月16日
創設者の言葉その2「情けは人の為ならず」
posted by ののはな幼稚園 at 12:17| 日記